日本一周 まとめ(最終回)

     2016/12/10()

こんにちは。

いよいよ最終回として、今回のツーリングを振り返って思う事をお伝えしようと思います。

◆目的・目標

「65才で会社を退職したらバイクで日本一周をしたいな・・」と思い始めたのは3〜4年前、若い頃には金も暇も無くて出来なかったツーリングを6年ほど前から始め、途中から日本一周を想い始める様になりました。すると、その為の準備として、バイクを改造したり、装備を考えたりし始め、九州や四国・中国地方を走っては改善に改善を重ねて来ました。

そこまでの目的は「ツーリングする事(を楽しむ)」でした。

そして事情により退職が63才と早まり、今回の日本一周は「これまでの仕事を忘れ、再就職への気持ちの切り換え」をしたいという目的を追加しました。

スタート時はのんびりと観光も楽しみながらの正にツーリングでした。

それから2週間もすると、毎日の衣食住+走行が大変で、観光どころではなくなってきました。半ば(45日目)を過ぎて、「なんでこんな辛い事をしているのだろう。何も楽しくない。」と思う様になり、「なにがなんでも日本一周して、なんとか完結しよう。」と思い始め、これは「行(ぎょう)」だな・・と考える様になりました。

多くの日本一周の人達と出会って話をしていると、徒歩・チャリ・バイク・車・キャンピングカー・・とスタイルが色々ありますが、過酷な旅ほど精神的な”行”が目的になっている様に思えます。

私が旅をしながら考えを整理した結果は・・・・

 ●今回の旅の目的:これまでの仕事を忘れ、再就職への気持ちの切り換えをする。

その目的達成の為に:日本を一周をする。別に日本一周する必要はありませんが、旅の中で色々な人を見ると、これまでの仕事を基準に今後を考えるのではなく、今回自分の目で見た世間が今後の自分の基準になると気付きました。

 ●旅の目標:バイクを使って日本の一番外側を回ってくる。バイクは車より過酷で達成感がある。チャリは体力的に準備が出来ていないし過酷過ぎる。内陸は走行に入れない。県庁所在地を塗り潰すのではなく、日本の縁を回る事で日本一周としたい。これは海岸線を走るのが好きだからでもあります。

 ●旅の手段:野宿が基本。宿泊はお金が続かないし、あと数年もすると野宿も許されない社会風潮になると思い、今のうちに・・。

・・・となりました。

◆旅の結果

 これまでの仕事の事を忘れる事が出来た。

  良くも悪くも44年半も同じ会社で働いたのですから、それが全てであり、それ以外の社会は理解出来ませんでした。しかし、もうスッキリ忘れる事が出来ました。実は途中で一度だけ前の仕事の夢を見ましたが、ただそれだけでした。日常の考え方の基準は世間を見る様になりました。

 人は・・「死ぬまで働け!死ぬほど働け!」だと理解しました。

  これは日頃妻が私に言う言葉を語録の様に表現したものです。60才の時にもニューヨークを旅して、お年寄りも多く働いている事に気付き、こう表現してきましたが、今回日本全体を見て、世界のどこでも「死ぬまで働くのが当たり前」だと理解しました。

 日本一周は四国のお遍路さんと同じ”行”である。

  時には”行”をしないと生き方を変えるスイッチがオンにならない。やって良かった。

◆旅で感じた事

 日本は島で出来ている。そして広い。

  当たり前の事を体感しました。そして北海道では隣国がすぐ目の前にある事が分かりました。

  日本は広い。これだけの大きさの陸地に大勢の人が生きている。総理大臣は本当に大変だろうなぁ〜とつくづく思いました。

 日本中に老人が溢れている

  テレビで3人に1人は老人・・などと聞いてはいますが、都市部以外では老人しか居ないし、コンビニでたまに若いレジの人を見る位です。スーパーなどでは客も店の人も高齢者ばかりです。本当に老人社会を前提とした国に転換していかなければならないと感じました。

 過疎化が進んでいる

  これも昔からテレビで報じられていますが、100世帯程度の漁村では町に人の気配は全くありません。2〜3人が港で魚網の手入れをしているのを見るの事がたまにあるくらいです。そんな過疎の町にも美しい大きな橋や道路が出来ていて、相当の投資がされています。ムダとは言えませんが、普通の橋や道路にして、働ける場所の方を考えるべきと感じました。

 防潮堤

  青森から静岡までの太平洋に面した海岸では防潮堤工事が進んでいます。三陸ではその工事のダンプトラックばかり走っています。海沿いの道路からは海岸線が全く見えなくなりました。総延長数千キロあるでしょう。まるで万里の頂上です。海沿いに住む人達も海の無い町となって寂しい思いでしょう。日本の景色は一変してしまった感があります。

  防潮堤の形は場所により異なります。三陸ではゆるいスロープの断面で、津波はスロープを登って超えていくのでは?と思いました。最大19mの津波を想定と聞きましたが、前回津波は32mまで登っています。これでは時間をかせぐ効果すらも無いと思います。それでも何もしない訳にはいかない・・、とりあえず、すぐに作る・・その考えも否定は出来ません。九州では感じませんでしたが、三重県あたりでも、海沿いの町には鉄骨の避難塔が町内に1ヶ所ずつ出来ています。

 ジジイ

  他人にはウルサく、自分には甘く、わがままなジジイが街に溢れています。困ったものです。あの人たちに社会での倫理や躾を再教育出来ないものでしょうか?私もそうなのかなぁ?

 道の駅

  「道の駅は宿泊場所ではなく休憩場所です。」・・という事になっていますが、夜は宿泊も暗黙の了解になっています。宿泊可と言うと法的に色々大変なのでしょう。畳敷きで洗面台もある休憩所は本当に有り難いです。ベンチが一つも無い所も有れば、中には四国の様に屋根の下に寝れるベンチが沢山有ったり、テントを張れるウッドデッキを用意してくれている所もあります。町村の経営ですから、地産品を売るだけの場所ではなく、(暗黙で)快適に泊まれる場所が増えて欲しいです。

  一方、夜間の使われ方として、キャンピングカーも多く見かけますが、自家用車で旅行をしている熟年のご夫婦の多い事。そして、殆どがイヌ連れです。ペットを置いては旅行出来ない事情でそうなってきたのだと思います。深夜と早朝は一斉にイヌの用足しが始まる光景はどの道の駅でも見られます。休憩時のイヌの用足しも多いですね。野宿の私や小さい子供たちには衛生的に迷惑な話です。

 イヌの糞尿問題

  公園や遊歩道の代表的な使われ方はイヌのトイレです。マーキングも不衛生ですが、フンに至っては「持ち帰っているから問題ない」と考えている事自体が問題です。公園に野宿する私の方も景観的にはよろしくないと思いますが、フンを処理した痕は汚いし、処理しない人の多さ、そして、わざわざ公園や道の駅にフンをさせに来る習慣が問題です。自分の家の庭にさせると考えると「汚い」と理解出来るのでしょうが・・。イヌの散歩は非常識と思う社会に早くなってほしいと思います。

 野宿

  今回野宿をしている人は少なかったです。季節的な影響もありますが、やはり、「やりづらくなった」と言えます。江戸時代の旅では道ばたの祠(ほこら)に寝るのは普通で、私の若い頃は駅の前の通路には野宿の旅人が大勢寝ていました。今はチャリダーの人が公園の東屋を使う事が多いですが、私の様に公園の芝生や道の駅にテントを張る人は本当に少なくなりました。なんででしょうかね?何が悪いわけでもないが、「なんでこんな所にテントなんか張るの?キャンプ場じゃないよ!」という事でしょう。

さすがに公園では子供たちがお母さんに「ぼくも公園でキャンプしたい!」と言い出したら、お母さんも困るだろうなぁ・・と申し訳なく思いました。

 キャンプ場

  昔ながらの山奥の涼しい静かなキャンプ場、あるいは海岸の松林のキャンプ場に対し、最近はキレイな公園に炊事棟やバーベキュー設備が有って一年中無料開放されているキャンプ場なども増えて来ました。今どき料金が高くて何のメリットも無いオートキャンプ場は利用者も減ってきている様です。教育キャンプ場はそれなりに必要ですが、公園の様なキャンプ場も増えていってほしいものです。ドライブ(旅行)で車中泊する人が増えてます。

以上、感じた事を述べさせて頂きました。

ブログはこれで終わります。

長い間のお付き合い、本当に有り難うございました。

皆さんも金と時間に余裕が出来たら、日本が安全なうちに早く自由な旅をしてみて下さい。

では、サ・イ・ナ・ラ・・・・

  

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